ワルというのはどうにも子供心をくすぐるもので、るろ剣では剣心や左之助よりも斎藤一とか蒼紫に憧れたし、幽遊白書では遊助より飛衛に心を奪われた。
中二病と言われればそれまでだが、やっぱり男たるもの、素直で優しい男をかっこいいとは思えず、気に入らないやつは平気で叩っ斬る信長のような、冷徹でありながらもたまに優しさを見せるようなキャラクターにどうしても惹かれてしまう。
地元が埼玉県、群馬の境目のど田舎だったため、地元には多くのヤンキーが住んでいた。しかも俺が中学生ぐらいの頃までは短ランにボンタン。リーゼントがガチでいるレベル。ちょうど中学時代にIWGPの再放送がやっていたおかげでカラーギャングまで流行りだして、ヤンキー風情が街に溢れかえっていた。街じゃないな。ど田舎だし。盛ったわ。森だ。森に溢れかえっていた。森に溢れかえるカラーギャング。どこの原住民だ。
今考えると、田舎っていう狭いくくりの中で幅を聞かせて、一体どんな価値があるんだろうと思えるのだが、その当時の俺からすると、彼らは強烈にカッコよく見えてしまった。
もちろん俺のような陰キャ代表屁理屈ボーイはそんな人たちに入ることなんてできずに、陰で本人たちに見つからないように仲間内で悪口を言い合うだけだったんだけど、心の奥では憧れていた。
人間なんて、誰かの悪口を言うときは少なからずズルイと言う気持ちがある。仕事を定時で上がるやつのことだったり、性に奔放になれるビッチだったり、彼ら、彼女らの陰口を言うのは、そうなりたいけどなれない自分が情けなくて、そんな自分を正当化するために一生懸命そう言った人たちを落とすためだ。だから結局、俺と一緒になって文句を言い合っていた友達も、きっと少なからず憧れを抱いていたんだろう。
そんな俺は結局中学時代は荒れることもなかったし、対して友達もいなかったから、やることがなく、とりあえず勉強をしていたら、そこそこの成績を取れるようになり、中学を卒業すると同時に町(森)を出て、ちょっとした栄えた地区の学校に通うようになった。
俺は「ここだ。」と思った。人が急にキャラを変えるのって、知り合いの前だと気恥ずかしいところがある。あいつどうしたの?みたいな噂を立てられるんじゃないかとか、本当は誰も他人のことなんて気にしちゃいないのに、そう言うどうでもいいことにやたらと気を使うのが人間ってものだ。
だから俺はそこで少しだけワルに振れた。
と言っても、大きめの栄えた地区では、もうどこにもリーゼントなんていないし、ボンタンに短ランなんていやしなかった。だからそこまでやってしまうとどう考えても浮くし、仮にも進学校だったから、内申書にも響く。
悩んだ末に導き出した結論が、腰パンだった。
ズボンの低さでワルを主張した。
学ランだった進学校の中で、腰パンとはそれだけでワルの象徴になっていた。だから校内では、5cmズボンを下げて履くだけであいつは真面目じゃないみたいな評価を下されて、職員室に呼び出された。
ワルに憧れていた俺は、職員室に呼び出されることに少しだけ優越感を抱いていた。
そんな生活が続いたある日。
いつものように学校が終わり、地元に帰ると、膝まで下げた腰パンでリーゼントのヤンキーが、友達の家にロケット花火を打ち込み火事を起こしていて警察に捕まった。
俺はワルにはなれないなと思った。